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良い習慣と悪い習慣

今年の春は遅く寒く、五月は晴れが続いたと思えば、どんよりした曇が連日空を支配する。何だか今年の季節は例年通りにはいかない気がしている。
そんな天候だから、母の健康も乱気流だ。朝、具合が悪くても午後には元気になっている。「昭和一桁生まれの人間は強い」と痛感させられることもしばしばだ。

では本題に。
「人は必要とされること・役目が必要だ」と耳にすることが多い。それはシニアにとっても同じこと。
冬の間、母の活動は心身共に減ってくる。なので、寝たきりの生活になってから、母の楽しみの一つとなった「花」を利用してみた。

きっかけは冬の始まりに、なじみの車販売店から頂いた、小さなシクラメン。
もともと母も私も、特に花好きではない。ごくごく普通だ。私がアイドルだった頃、コンサートやイベント・誕生日などで本当にたくさんのお花を頂く機会が多かった。スタッフに分けても分けても溢れる花たち。あまりの多さに母は疲弊し、「花よりほうれん草の方が良い。食べられるし、食べれば日々、減っていくもの」とは、世話に疲れた母の愚痴だった。
現在は溢れるほど頂く事はなくなり、頂いたら普通に世話をし、枯れたらサヨナラをする。なので、シクラメンもごくごく普通に水をあげ、日の当たる場所に置いていた。ふとある時、母に預けようと思った。ここが肝。あげるんじゃない。預けるのだ。自分のものだと「適当」に扱う。けれど預かっているとなると責任があるから「大切」に扱う。
すると私の期待通り。朝、水をあげ、昼は日当たりの良いベランダか窓辺に出し、夕方は暖かな室内に入れる。具合が悪くない限り、毎日やっていた。すると自分で世話をするので、植物だろうが、動物だろうが愛着が湧き可愛くなる。母は小さなシクラメンを枯らすことなく、冬を終えた。
今は私が庭にタネを蒔いた、向日葵・朝顔・マリーゴールドなどの新芽が大きくなるのを見守っている。寝たきりになってからの楽しみだ。さすがに庭への水撒きは出来ないのだが、私や兄を使って水を撒き、日々の成長を楽しんでいる。植物を育てる、良い習慣が身についたと思う。

でも良い習慣ばかりではない。悪い習慣もある。
人と話をするときに右手の人差し指で頭を掻く。既に1年前には気がついており、注意はしたものの直らなかった。会話の中で迷ったり、悩んだりすると、その癖は出てくる。「夕飯、何食べたい?」「買い物へ行くけど欲しいものある?」と聞くと、責めたり怒ったりしてるわけじゃないのに、母にとっては軽いストレスになっているらしく、癖が出る。仕事や家事でバタバタしている時の私は、きっと聞き方がキツイのだと思う。「母の食べたいものを作ってあげよう!」と思っているのに。
それ以外にも、ケアマネジャーやデイサービスの人と話す時も癖は出ているみたいだ。最近は特に頻繁に出るので母に注意すると、同じ所ばかり掻くからカサブタが出来て自分でも気になっていたらしい。母は「手袋を買ってきて」と言った。手袋をすることで注意しようとしている。いつも母は前向きだ。楽観的過ぎては腹が立つことも何度となくあるが、それでも要介護4から3になったのは母の努力と、その前向きな姿勢のおかげだと思う。

母は私の顔を見つめ父親似だと言い、中身は母の母である、働き者の祖母似だという。でも楽観的な前向きな性格は、密かに母親似だと思っている。
どうか母の悪い習慣が治りますように。

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