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新田恵利のKINDCARE Posts

笑顔でいるために。

今回、このコラムは終了となります。とは言え、私の介護生活は終わった訳ではありません。
ゴールはいつ来るのか?見えるような、見えないような。でもクラッカーを鳴らすような、お赤飯を炊くような、そんなゴールにはならない。それだけは確かです。
だからこそ!毎日を前向きに、明るく過ごすのが私の目標。「明るい介護」を目指し続けます!
今までご愛読ありがとうございました。

では皆さんに最後にお伝えしたいこと。
それは…「歳を取ると子供に返る」と良く聞くけど、色んな意味で実感することしばしば。

例えば「お菓子ばかり病」。
なるべくならバランスの取れたキチンとした食事を取って欲しくて、手間を惜しまず頑張っていた時期もあった。その頃の母は、何を作っても食べる量がグンと減り、なぜかお菓子ばかりを食べていた。お菓子ばかり食べるから、手を替え品を替え頑張ってみた。だが「子の心・親知らず」で、私の努力は報われなかった。「お菓子ばかり食べてると、ちゃんとご飯が食べられないでしょ?」と幼い頃、怒られたはずなのに、逆になってしまった。
でも半年も経たぬうち、「お菓子ばかり病」は治ってホッと一安心した。

次は「そればかり病」だ。好きなものに出会うと、そればかりを食べたがる。食べて・食べて・食べ続けた後は、逆に嫌いになるのだ。
喜ばせようと好きそうなものを探す。気に入って喜んでくれるのは嬉しいが、言うがまま買ったり作ったりすると、ある日突然、嫌いだという。食欲がわかない時や、長時間淋しい思いをさせた時など、好きな物でフォローしたいのに、好きなものが減っていくのはとても不便だ。

そして好きなものがあると「我慢できない病」だ。
最近のお気に入りは「アップルリング」。パイ生地と甘く煮てあるリンゴの組合せで、アップルパイが食べやすくリング状になっているもの、と思って頂きたい。このアップルリングは近所には売ってないので、仕事帰りに買って帰ることが多かった。
明日の朝、朝食に食べてね、と渡すのだが、翌日の早朝に顔を出すとアップルリングは無くなっていた。この時間、いつもならまだ寝ぼけ眼だから、とても早い朝食だ。不思議に思い、聞いてみると夜中に食べたらしい。置いてあると気になり落ち着かず、食べてしまうらしい。ああだ、こうだと本人は言うが、単に我慢が出来なくなっただけだと思う。

全てに「抑制」がきかなくなっているのだろう。母でありながら、もう親ではなくなっている。子供と同じだ。これからどんどんと物忘れが進み、いずれは認知症になる。そして益々、自分を抑制出来なくなってくるのだろう。
覚悟は出来ている。昔、子供の私を忍耐強く見守ってくれた母。今度は子供に返った母を、私が忍耐強く見守ろうと思っている。
最後の最後まで、母と2人で笑顔でいたいから。

まだ介護を経験していない方、私と同じ現在、介護進行中の方、介護を終えられた方。
みんな、みんな、お疲れ様です。
そしていつかは、私たちが介護される立場になる。誰もが老いていくのだもの…

デイサービスの方がくれたお誕生日プレゼント。良く母を見てくれてます。
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良い習慣と悪い習慣

今年の春は遅く寒く、五月は晴れが続いたと思えば、どんよりした曇が連日空を支配する。何だか今年の季節は例年通りにはいかない気がしている。
そんな天候だから、母の健康も乱気流だ。朝、具合が悪くても午後には元気になっている。「昭和一桁生まれの人間は強い」と痛感させられることもしばしばだ。

では本題に。
「人は必要とされること・役目が必要だ」と耳にすることが多い。それはシニアにとっても同じこと。
冬の間、母の活動は心身共に減ってくる。なので、寝たきりの生活になってから、母の楽しみの一つとなった「花」を利用してみた。

きっかけは冬の始まりに、なじみの車販売店から頂いた、小さなシクラメン。
もともと母も私も、特に花好きではない。ごくごく普通だ。私がアイドルだった頃、コンサートやイベント・誕生日などで本当にたくさんのお花を頂く機会が多かった。スタッフに分けても分けても溢れる花たち。あまりの多さに母は疲弊し、「花よりほうれん草の方が良い。食べられるし、食べれば日々、減っていくもの」とは、世話に疲れた母の愚痴だった。
現在は溢れるほど頂く事はなくなり、頂いたら普通に世話をし、枯れたらサヨナラをする。なので、シクラメンもごくごく普通に水をあげ、日の当たる場所に置いていた。ふとある時、母に預けようと思った。ここが肝。あげるんじゃない。預けるのだ。自分のものだと「適当」に扱う。けれど預かっているとなると責任があるから「大切」に扱う。
すると私の期待通り。朝、水をあげ、昼は日当たりの良いベランダか窓辺に出し、夕方は暖かな室内に入れる。具合が悪くない限り、毎日やっていた。すると自分で世話をするので、植物だろうが、動物だろうが愛着が湧き可愛くなる。母は小さなシクラメンを枯らすことなく、冬を終えた。
今は私が庭にタネを蒔いた、向日葵・朝顔・マリーゴールドなどの新芽が大きくなるのを見守っている。寝たきりになってからの楽しみだ。さすがに庭への水撒きは出来ないのだが、私や兄を使って水を撒き、日々の成長を楽しんでいる。植物を育てる、良い習慣が身についたと思う。

でも良い習慣ばかりではない。悪い習慣もある。
人と話をするときに右手の人差し指で頭を掻く。既に1年前には気がついており、注意はしたものの直らなかった。会話の中で迷ったり、悩んだりすると、その癖は出てくる。「夕飯、何食べたい?」「買い物へ行くけど欲しいものある?」と聞くと、責めたり怒ったりしてるわけじゃないのに、母にとっては軽いストレスになっているらしく、癖が出る。仕事や家事でバタバタしている時の私は、きっと聞き方がキツイのだと思う。「母の食べたいものを作ってあげよう!」と思っているのに。
それ以外にも、ケアマネジャーやデイサービスの人と話す時も癖は出ているみたいだ。最近は特に頻繁に出るので母に注意すると、同じ所ばかり掻くからカサブタが出来て自分でも気になっていたらしい。母は「手袋を買ってきて」と言った。手袋をすることで注意しようとしている。いつも母は前向きだ。楽観的過ぎては腹が立つことも何度となくあるが、それでも要介護4から3になったのは母の努力と、その前向きな姿勢のおかげだと思う。

母は私の顔を見つめ父親似だと言い、中身は母の母である、働き者の祖母似だという。でも楽観的な前向きな性格は、密かに母親似だと思っている。
どうか母の悪い習慣が治りますように。

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偶然だろうか?

前回、風邪など体調不良による排泄のことに少し触れた。

今回は「排泄」そのものに触れてみたいと思う。生き物として命ある限り「排泄」はある。まして介護となると、避けては通れない大きな問題だ。それなのに声に出して話す機会は極端に少ない。

桜が舞う頃、私は松山へ行った。NHK松山の番組に出演するためだ。番組名は「どう支える?排泄介護」。
母が元気に歩いていた頃、雑談の中で「下の世話なんか、私は出来ないからね。ちゃんと歩いて元気でいてよ~」と母と笑って話していた。しかし、いざそうなるとそんな事は言ってられなかった。
皆さんは大人のおむつの替え方を知っているだろうか?私は知らなかった。赤ちゃんのおむつ替え…それは、昔はテレビドラマやCMで見ていたし、私達夫婦には子供を授からなかったが、姪のおむつ替えを14歳の頃からしていた。
でも大人のおむつ替えは…情報溢れる現代社会の今でさえ、その情報を自分で取りに行かなければ自然と目に入ることはない。

出演した番組のVTRで紹介されたことをいくつか。

10年も介護マンガを描かれている「くさか里樹」さん。くさかさんは25年前「ケイリン野郎」というラブコメディーを描かれていて、当時私は大好きだった。なかなか人の名前を覚えない私が覚えていた名前だ。現在、くさかさんは介護マンガを描き、私は介護生活を送っている。時の流れを感じる(苦笑)

また「排泄」の介護現場の実例も取り上げられた。
夫の在宅介護を担う60代の女性は生活のため仕事との両立をしている。彼女は夫のおむつの尿もれに悩む。またとある施設では、夜勤はたった1人で30人の入居者をみるため、一晩中、おむつ替えに追われる。手厚い介護のため、トイレへ行ける人には、たとえそれが一晩に3回でも付き添う。大変な仕事だと思う。

「排泄」は、介護をする人も当然大変だが、介護される側の人にとっても心痛な思いだ。
私の母は異性である息子・兄におむつ替えをされることに抵抗を示さなかった。でも中には自分の子供でも異性は嫌だと言う人もいる。その気持ちは分からなくもない。母が要介護4から3になったのは、勿論、本人の努力の賜物だ。その努力の源は、「トイレだけは自分で行きたい」という強い意志、ただそれだけだ。実際、車椅子でトイレへ行けるようになると、母は週2回の訪問リハビリを断った。「そんなんじゃ、また、動けなくなるよ」と窘めても、デイサービスでリハビリをしてるから大丈夫と言い張っている。

介護の様々なケアの中でも、口腔ケアなどはガイドラインがあり、それに沿って対処に当たる。だが排泄に関しては、まだ我流の域を超えないそうだ。
そうした問題を少しでも解決しようと「おむつフィッター」がいる。ご存知だろうか?私も初めて知ったのだが、京都のはいせつ総合研究所が認定する資格だ。排泄の困りごとに対して、おむつを含む排泄用具はもとより、医療や住環境、食事など幅広い視点からアドバイスをくれる。尿もれなどの悩みは解決されるそうだ。尿もれが怖いからと紙おむつの中のパットを何枚も重ねると、かえって紙おむつやパットのギャザーが役目を果たさなくなり、尿もれに繋がる。そしてパットを重ねることにより姿勢が悪くなり、食欲が落ち、体力がなくなって弱っていく。健康そのものを害するそうだ。紙おむつが健康を奪ってしまう?!改めて、正しい情報を得ることはとても大切だと考えさせられた。
現実は悲しいことに、母もまたいつの日か、紙おむつの生活に戻るのだろう。でもきっと、その時は今までと違う気持ちで母のおむつ替えが出来るだろう。

紙おむつと、中に入れるパット大・小、リハビリパンツと尿もれシート。
これらを体調に合わせて使い分けてます!

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今年の風邪は・・・

前回まで数回にわたって母が「認知症」かも?というコラムを書いてきた。

実は先日、「認知症」社会という事で、NHKスペシャルの収録にゲスト出演した。

8年後の2025年、団塊の世代が75歳以上となり、3人に1人が65歳以上となるそうだ。もちろん認知症の人も増える。でも発症を遅くする事も出来る。30代・40代から自分の為に・国の為に・未来を背負う子供達の為に、健康に気を使わないといけないと、しみじみ考えさせられた。

さて今回は?

この冬はなかなか暖かくならずに「なごり雪」が降り、春が遅かったですね。寒暖の差が著しいせいか、外出をほとんどしない母なのに、よく風邪をひていた。週に水曜日と日曜日の2回のデイサービスさえ、3月はほとんど行っていない。

母の場合、水曜日にデイサービスへ行き、何より楽しみなお風呂に入る。で、その夜に風邪をひく。木曜・金曜は症状が酷く、土曜日は少し軽くなり日曜日に回復。今度の水曜日は行けるかなと思っていると、なぜか火曜日には違う風邪をひく。外出もしていないのに本当に不思議だ。

きっと私達は風邪をひいていないが、外との出入りで菌を持ち込んでいるのだろう。免疫力の低い母だけが風邪をひくのだ。

最初の風邪は嘔吐と下痢を繰り返した。普段なら車椅子を使いながら自分でトイレに行けるのに、こうなると無理だ。寝返りやトイレへ行こうと態勢を変え、お腹に力を入れると出てしまうらしい。という事で、また紙おむつのお世話になった。

風邪に限らず、体調を崩すと下痢をするようになった。体調の悪い時は排泄の感覚も鈍くなるという。自分の意思とは関係ない排泄に驚き、嘆き悲しむ母。そして紙おむつの生活に戻るのを怯えていた。要介護4の時は紙おむつしか選択肢がなかったから、母も当時は諦めていたのだろうが、今回は何と声をかけて良いのか分からなかった。もしも自分なら…想像しようとしても難しい。人間としての尊厳の一部分を失おうとしているのだから。

でも体調が戻ると、排泄の感覚も戻ってきたようで安心した。しかし数日後、また体調を崩した時に排泄の感覚が鈍くなった。泣いている母の背中をさすりながら、今度は慰めることが出来た。「体調が悪いからだよ。前も分からなくなったけど、体調が戻ったら大丈夫だったじゃん。だから、まずは早く元気になろう」と。

最近の母の体調は「日替わり」どころか「数時間」で変わる。ほんの十数分で変わる。もちろん悪い方に、だ。ただ88歳にしては回復力もあるので、大きな心配事にはならずに済んでいる。

マメに風邪をひく母の介護をしている私は、というと、外出からの帰宅時はうがい手洗いをしっかりして気をつけているものの、母の部屋から戻った時は何もしていなかった。なので、しっかりと風邪をうつされた。風邪をうつしてはいけないと気をつけていたが、うつされるとは…

どちらにしても、季節の変わり目にシニアはとても弱い。シニアの入り口?が遠くに見えて来た私達も、今まで以上に体調の変化に気をつけないといけないかもしれない。明るい介護を続ける為に…

やっと車椅子で行けるようになった母が温もりを感じられるよう作りました!
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母が認知症!? -3-

前回は認知症外来へ行った日の出来事までを書いた。今回はその後…ですね。

次回の予約は2週間後。車を運転してくれる主人も私も休みを取った。買ったばかり新車の調子が悪くて販売店へ預けていたので、予約日は朝早いため前日の夜にレンタカーを借りて準備万端。

ところが、当日の朝、母の支度を手伝いに行くと「風邪をひいた」と言い、微熱ながら熱もある。それなら仕方ないと直ぐに病院へ連絡し、予約をキャンセル。そのまま次の予約を取るために、主人と私のスケジュールを確認・調整。その後、主人は使わなかったレンタカーを返却。8000円をドブに捨てたようなものだ。それも仕方ないか!?

でも…娘の私は密かに疑念を持ち始めた。確かに熱もあっただろう。しかしそれ以外のものも感じていた。

予約を取り直した2週間後の朝。母の元へ行くと、案の定、具合が悪いと言い出した。

予想通りだったので、驚きもせず怒りも感じず、直ぐに病院へ電話をしてキャンセル。もう年末が近いということもあり、次回の予約は取らなかった。病院側も「次のご予約を取りますか?」と聞いてこなかった。主人もそのまま出勤した。実は今回は確実な休みを取らなかったのだ。ある意味、全てが予定通り?

昼前になり、母の様子を見に行くと、笑顔で兄が用意したブランチを食べていた。具合は良くなったらしい
母の場合、認知症外来が嫌な訳じゃなく、病院へ行くのが嫌なのだろう。長時間の車椅子や移動。検査のために服を着たり脱いだり、横になったり、立ったり座ったり。かなりの負担だった。それは感じていたものの、どうしてあげることもできない。幸いなことに、攻撃的な会話は夏以来ない。

日々、物忘れは酷くなっているが、それはホワイトボードを買って対処している。書いておくのは私のスケジュール。何時に家を出て、何時頃の帰宅予定かを書いておく。そうする事で、日々の「明日の仕事はどこ?」「遅くなるの?」と同じ事を日に何度も聞かれて、キーッ!とイライラするのを防いでいる。これは共に介護をしている兄への伝言にもなるので、遅い帰宅の日は、兄が母の夕食用に、おにぎりなどを買って置いてくれるようになった。

そのほかの対処法として、認知症に良いとされているココナッツオイルを食事などで取らせようとしたが、受け付けない。実は私も苦手だけどなのでココナッツオイル、どうにかならないかなぁ〜と調べていたら?MCTオイルを発見!アルツハイマー型の認知症に効果があるとされている、中鎖脂肪酸油。ココナッツオイルの含有量は60%だが、このMCTは100%。普段の食事にかけるだけ。こんなに良いものは無い!と、早速買って母の食事にかけたが…オイルという思い込みで受け付けない。油こくて嫌だという。私個人としては油こさは感じないんだけどね。でも、どこのシニアも思い込みが強くて、その思い込みは誰も変えられなくて、説得しても一時的なもの。時が過ぎれば、あら!元どおり諦めた。

でも、このMCTオイルはダイエットにも良いということなので、私がせっせと使っている。将来の認知症予防。そして現在、無理なく簡単ダイエット?一石二鳥だ。

こうして、母の認知症は確実な診断をされることもなく、予防も拒絶された。「親の心子知らず」というが、は我が家では既に「子の心親知らず」に変わっている。

またあの手この手で、母の脳を活性化させる手段を探し続けよう!

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母が認知症!? - 2 –

今年最初の更新です。今年もよろしくお願いします! さて前回は、母を認知症外来へ連れて行くべく、予約をした。というお話。

近所には認知症外来のある大きな病院がない。予約した病院までは、母が寝たきりになってから初めての2時間弱の長距離移動になる。ちょっぴり不安だ。

母を車椅子で車の横に連れて行く。腕の力で自分を何とかシートに移動させようと頑張る母。88歳の割に腕の力はあると思う。そして私は力任せに母のお尻を持ち上げる。無事にシートに収まったら直ぐに車椅子を畳み、旦那に預けトランクルームへ乗せて貰う。朝から母の身支度や朝食の準備で既に私はヘトヘト。

朝早い移動だったので、車内で準備しておいた軽い朝食を取る。母は水分を取ろうとしない。車椅子とはいえ自分でトイレへ行けるようになった母にとって、紙パンツは最終手段。出来れば自分でトイレへ行きたい→トイレへ行くには娘の手を借りなければいけない→娘に負担をかけたくない→だからトイレへ行かないようにする→だから水分を取らない、という図式になるらしい。注意しても受け流すだけだ。

病院へ着けば助手席から飛び降り、旦那が降ろしてくれた車椅子を広げ、車椅子を横付けし、母の足を誘導しながら車椅子に座らせる。
初診の手続きを済ませると後は待つばかり。予約をしていても、その時間に始まらないのが大病院。覚悟していても待つのは辛い。

やっと診察が始まった。まずは問診。
「最近、周りの人に何か言われます?」と担当医師。「幸せそうだね 」と母。「いえいえ母、認知症外来でその答えはないでしょう」と私の心の声。フォローするように、この夏の攻撃的な症状を伝えた。母に確認する医師。
そして次の質問に変わった。「これから3つの言葉を言います。後で聞きますから、ちゃんと覚えておいて下さいね」と。「紫陽花」、「キリン」、「飛行機」。
母の後ろで、母以上に真剣に、言葉を繰り返していた旦那(苦笑)
その後、他の質問を繰り返す。「今日は何日ですか?」迷うことなく答える母。
「ここは何階ですか?」ドキッ!私は覚えてなかったが、母はまたまたサラッと答えた。
「100から9を引いて…」「91 」「はい、ようそこから8を引いて…」「73 」先生は否定せずに「そこから8を引いて…」「…75」やはり否定せず、終了。
そして「先ほどの3つ言葉、覚えてますか?」「紫陽花」「飛行機」「…」やっぱり思い出せないのかな?と思う間も無く「キリン」と母。我が親ながら「おお!凄い。ご立派」
後ろの旦那は母に先を越されたようだ(苦笑) こちらの方が危ないかも?

その後、心電図・レントゲン・MRIと検査が続いた。その度に車椅子から降りる・横になる・起きる・車椅子に乗る、を繰り返す母に、疲労の色が出てきた。「もう少しだから頑張って」文句ひとつ言わない母の姿に胸が痛い。
文句を言ってくれれば、「誰のために来てるの?」とこちらが愚痴を言えるのに。

時に病院へ到着し、検査と待ち時間で既に15:30。
「まだ全ての検査を終わってないので何とも言えませんが、やはり軽い認知症でしょう」と、担当医師から告げられた。
そして心理テストと SPECT検査という血流を調べる検査を予約した。全ての検査結果は後日という事で、やっと終了。
やはり1日仕事だ。

母が認知症!?シリーズは、まだ続く…。

 

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母が認知症!?

2016年。母が寝たきりになってまる2年が経った。母も今年で満88歳。

介護生活も3年目になると、色々なことが落ち着き、余裕も出てきた。それでも一難去って、また一難。小さな問題は大きな問題へとすぐ繋がりそうになり、慌てふためく。ギリギリセーフに胸をなでおろすこともしばしば。さて今回は?

母の物忘れは年々、多くなっていたが、年相応と思っていた。それが、今年の夏に一気に進んだと感じた。この夏も暑い日が続き、母はイライラしていた。冷房を入れれば足が痛くなるし、入れなければ暑くて仕方ない。

ある朝、いつもように「おはよう」と声をかけると返事がない。聞こえなかったのかと思い、もう一度声をかけたが、やはり返事がない。「あれ?具合が悪いの?」と聞いても返事なし。

顔を見ると、どうやら具合ではなく、機嫌が悪いらしい。触らぬ神に祟りなし…

「じゃ、出かける前に顔出すね」と言い残して部屋を出ようとすると「どこでも好きなとこへ行って涼んでおいでッ!!」と吐き捨てるように母は言った。びっくりしたのと、朝から何なの!?という怒りで、私もつい「仕事だよッ!」と怒鳴りかえした。ドタバタと階段を登りながら、母の言葉を思い出して気が付いた。母はそんな言い方もしたことないし、そんな嫌な人間じゃない。

何で?何で…

そこで認知症の症状の中に「攻撃的な言動がある」というのを思い出した。もしかして…認知症?

数日後…昼食のあと仕事へ行く前に、おやつとして母の好きなクリームパンを「ここに置いておくね」と声をかけた。仕事から戻ると、クリームパンがなくなっていた。おやつを食べたなら、夕飯を急ぐ必要はない。「クリームパン、食べたんだね」と声をかけると「1つしかなかったわよ!」と、またまた私の知らない攻撃的な母。でも今度は「ねぇ、ママ。責めたわけじゃないの。クリームパンを食べたんだねって確認しただけだよ。何でそんな言い方するの?」とたずねた。すると母の表情も変わった。そんな母の態度のことを少し話すと、母もデイサービスでも「何でそんなにムキになってるの?」と言われていたらしい。母はいつも陽気でお茶目な人だ。きっと周囲の人も驚いたのだろう。

認知症は早いうちから薬を飲めば、進行を遅らせることができる。出来ることなら、最後まで母には、私が娘であることを分かっていて欲しい。母と話し合い、認知症外来を訪ねることにした。そう思い動き始めたのが9月。色々と調べ予約が取れたのは11月の半ばだった。大きな病院は行くのも予約を取るのも大変だ。

何事もなく受診出来るのだろうか?はてさて診断結果は?

次回に続く…

 
今年一年、ありがとうございました!
皆様、良いお年をお迎え下さい。

20161227a

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介護リフォーム

暑い夏から秋をスキップした寒い冬の訪れ。
服も体も心も、冬支度を準備する間もなかった。

秋がなかった今年だが、「秋になったらやろう」と思っていたものがあった。
車椅子で家の中を動くようになった母のためのリフォームだ。

2000年に建てた今の家は、バリアフリーの二世帯住宅だ。1995年に「長寿社会対応住宅設計指針」が建設省(現 国土交通省)より示され、また2000年に「住宅性能表示基準」が定められた。ちょうど建てた頃は一般住宅にバリアフリーが徐々に浸透してきた時期だった。確か、バリアフリーにすると助成金が少し出たような記憶もある。
車椅子が通れる廊下の幅や、段差がない浴室とトイレ。老いていく母のために、最初から浴室とトイレには手摺もつけた。ガスコンロは危ないので母親のキッチンにはIHも入れた。ベッドを置く場所から、外が見えるように窓も多くした。
寝室の床材は、今でこそタイルカーペットが流行っているが、当時は一般住宅ではあまり使われていなかった。それでも私は、母が汚した時に部分的に取り替えられるよう、タイルカーペットにした。
全てにおいてお金は余分にかかったが、他の所を切り詰めてでも母の住む一階には拘った。寝たきりになるとは思っていなかったが、思いついたことは全てやった。
それでも、実際に寝たきりになると、問題は出てきた。確かに車椅子は通れるのだが、曲がるのはやっと。車椅子を何度も壁にぶつけるので角の壁はボロボロに。また廊下から脱衣場やトイレへ行くドアは外してしまった。開いたドアの厚みやドアノブの出っ張りで、室内スペースや通路がかなり狭くなるからだ。

そして今回、手がけたのは…

母が居間として使っていた部屋の真ん中に、現在介護ベッドを置いている。居間は畳が良いと言う母のリクエストに応え和室だったが、数年経つと「畳が傷むから」と母は勝手に畳の上にカーペットを敷いた。その方が傷む気がしたが思うようにさせていた。家を建て10年近くなると畳が凹んできた。「畳替えをしよう」と言っても「私が死んだら全部、取り替えなさいな」と、母は面倒臭がりやらせなかった。そして突然の寝たきり。へこみ続ける畳の上でカーペットがヨレる。そこを車椅子で動こうとしても、スムースな動きが出来るわけない。母が元気になればなるほど、気になっていた。
もう1つ。母はキッチンで自分の食べた物くらい自分で洗い物をしたいらしく、ギリギリまで車椅子を寄せて指先で水栓のレバーを動かしていた。シンク下の扉を取り外して、土台の一部分を壊すか外すかすれば、車椅子のまま奥まで入れると思ったのだ。

介護のためのリフォーム。介護保険が使えると思ったが、今回のようなキッチンリフォームには使えないらしい。では床は?キッチンがダメなんだから床もダメだろうと調べもしなかった。
とある週末、母は初めて二泊三日のショートステイに。DIY好きの私達夫婦2人で畳を剥がし、スタイロフォームという断熱材を敷き、合板を乗せタイルカーペットを敷いて、完成!
数日後、介護の対談で各役所には介護保険で使えるサービスが小冊子になっていることを知った。手にしてみると…実は床の張替えは介護保険が使えたようだ。
まだまだ、情報とケアマネさんとのコミュニケーションが足りないと、痛感させられた。

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介護食に注目!?

突然の介護生活も丸2年、慣れたつもりだ。
たくさんの人に支えられ、様々な知識や情報を手に入れ、少しでも介護される人もする人も「負担」が減るように、日々、生活して来た。母の目覚ましい回復で、私たち兄妹は楽になった部分が多い。とは言え、日々、年々、母が歳を重ねてるのも確かだ。

たとえば、去年、食べられた物が食べられない。
先月は食物アレルギーの話をしたが、食べられなくなった理由は他にもある。硬くて噛めないのだ。時間や圧力をかけて柔らかくすれば、食べられるものもある。でも柔らかくしたら、その物ではなくなってしまうものもある。歯ごたえや食感も、食事の楽しみの中の1つだ。沢庵やキノコ類、キュウリも、柔らかいと食感が変わってそれらしさがなくなってしまう。イカやタコ、貝類もほとんどダメだ。柔らかく煮てあるタコも去年は食べられたのに、今年になって食べられなくなった。

寝たきりになり、楽しみが減った。その数少ない楽しみからも、また少しずつ楽しみが減っていくのだ。
入れ歯を入れれば問題ない!というものでもないらしい。
先日、母の好きなきんぴらごぼうを作った。ゴボウが柔らかくなるまでに40分かかった。私にしてみれば歯ごたえもなく、柔らかいゴボウだったが、母は固くて食べられなかった。
ハッキリ言って手間がかかる。ほうれん草の胡麻和えだって、茹でる時間も長くし、更に細かく刻む。去年までは柔らかく茹でれば、それで十分だったのに。
とは言え、全てをフードプロセッサーにかけてペーストにするほどではない。どんなに味が良くたって、出来ればペースト状は避けたい。我が家に圧力鍋はあるけど、母1人分を作るには大き過ぎる。考えようによっては赤ちゃんの離乳食と同じかもしれない。でも赤ちゃんと違って、食の好みがハッキリとあるし、今まで原形を食べていたから、その食感の違いに違和感があるだろう。

そんな新しい悩みの答えにはならないが、街のフランス料理店で介護食のフルコースを出しているという取材を見た。コロッケは普通に衣をつけて揚げたそのままを、フードプロセッサーに入れてペースト状にし、形を整えソースをかけていた。
料理は見た目も大切と言われている。宅配やレストランでは可能だけど、一般家庭で慣れ親しんだ味での介護食は、やはり手間暇をかけるしか、今のところないのだろう。小さな圧力鍋でも買おうかな?

2か月続けて食の話になったのは味覚の秋だからだろうか。今夜も秋を頂こう!

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食物アレルギー

先日、子供の食物アレルギーの特集をテレビで見た。
旅行会社がアレルギー対応の食事を3食用意するツアーを開催した様子を取材していた。
お昼のお弁当もアレルギー対応メニュー。旅館での夕食と朝食も、もちろんアレルギー対応のメニューだ。
卵・乳製品・小麦が代表的なアレルギーの原因食物だが、他にも甲殻類・果物・豆類などがある。

旅館の厨房には、これらの原因食物が混入しないよう、アレルギー対応用の厨房が別に作られていた。微量でもアレルギーに反応し、アナフィラキシーになったら大変だ。厳重な注意が必要だと言う。
食物アレルギーを持つ子供は、外食の場合に食べたいものが食べられない。目の前にあるのに、食べてはいけないのだ。子供にとっては酷な事だと思う。
また、みんなと違うメニューになってしまう事もしばしば。
しかし、このツアーは家族全員が同じメニューなので、みんなと同じ物が食べられる。普段、同じ物が食べられない子供にとってはとても幸せなことだ。
私が幼い頃は、食物アレルギーを持つ子供は一クラスに45人いても1人いるか、いないか?だった。今は赤ちゃんだと10人に1人だという。

でも最近、私はシニアの食物アレルギーをよく耳にする。
この食物アレルギーの特集をしていた番組でも、スタジオにいたコメンテーターの1人が「私の母が急に食物アレルギーになった」と。
そう、私の義母も2年前くらいから食物アレルギーになった。長年食べ続けていた「しいたけ」。
ある日、突然湿疹が出て病院で調べてもらったところ、原因は「しいたけ」だった。
やはり、外食に気を使うようになった。しいたけの出汁を使った料理でも反応するし、細かく刻まれたしいたけは料理に良く使われる。
お店の方に、このメニューには、しいたけは使われてますか?と聞くと、即答はまずない。厨房へ行き、聞いてくれる。義母と行くお店は、個人経営のお店が多いので、「しいたけ」を抜いてもらえますか?とお願いすれば、対応してくれるが、フランチャイズやチェーン店などでは対応は出来ないだろう。
私たちは確認する手間。お店は対応する手間。ひと手間多くかかるようになった。
食物アレルギーは子供の頃になるものだと思っていたので、びっくりだ。

花粉症と同じなのだろうか?分かりやすい例で、花粉が体内のバケツいっぱいになると溢れて花粉症になる、聞いた事がある。
しいたけエキスがバケツいっぱいになって、アレルギー反応が出るようになったのだろうか?
シニアになると子供に返るというが、こんな所まで!?

幸い、まだ義母は「しいたけ」だけ。実母は何もない。
食べるということは、人間にとって、また高齢者にとって楽しみの一つでもあり、大切なこと。
「食物アレルギー」他人事のように思っていたが、決してそうではない事に気づかされた、今日この頃だった。

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