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新田恵利のKINDCARE Posts

母が認知症!? -3-

前回は認知症外来へ行った日の出来事までを書いた。今回はその後…ですね。

次回の予約は2週間後。車を運転してくれる主人も私も休みを取った。買ったばかり新車の調子が悪くて販売店へ預けていたので、予約日は朝早いため前日の夜にレンタカーを借りて準備万端。

ところが、当日の朝、母の支度を手伝いに行くと「風邪をひいた」と言い、微熱ながら熱もある。それなら仕方ないと直ぐに病院へ連絡し、予約をキャンセル。そのまま次の予約を取るために、主人と私のスケジュールを確認・調整。その後、主人は使わなかったレンタカーを返却。8000円をドブに捨てたようなものだ。それも仕方ないか!?

でも…娘の私は密かに疑念を持ち始めた。確かに熱もあっただろう。しかしそれ以外のものも感じていた。

予約を取り直した2週間後の朝。母の元へ行くと、案の定、具合が悪いと言い出した。

予想通りだったので、驚きもせず怒りも感じず、直ぐに病院へ電話をしてキャンセル。もう年末が近いということもあり、次回の予約は取らなかった。病院側も「次のご予約を取りますか?」と聞いてこなかった。主人もそのまま出勤した。実は今回は確実な休みを取らなかったのだ。ある意味、全てが予定通り?

昼前になり、母の様子を見に行くと、笑顔で兄が用意したブランチを食べていた。具合は良くなったらしい
母の場合、認知症外来が嫌な訳じゃなく、病院へ行くのが嫌なのだろう。長時間の車椅子や移動。検査のために服を着たり脱いだり、横になったり、立ったり座ったり。かなりの負担だった。それは感じていたものの、どうしてあげることもできない。幸いなことに、攻撃的な会話は夏以来ない。

日々、物忘れは酷くなっているが、それはホワイトボードを買って対処している。書いておくのは私のスケジュール。何時に家を出て、何時頃の帰宅予定かを書いておく。そうする事で、日々の「明日の仕事はどこ?」「遅くなるの?」と同じ事を日に何度も聞かれて、キーッ!とイライラするのを防いでいる。これは共に介護をしている兄への伝言にもなるので、遅い帰宅の日は、兄が母の夕食用に、おにぎりなどを買って置いてくれるようになった。

そのほかの対処法として、認知症に良いとされているココナッツオイルを食事などで取らせようとしたが、受け付けない。実は私も苦手だけどなのでココナッツオイル、どうにかならないかなぁ〜と調べていたら?MCTオイルを発見!アルツハイマー型の認知症に効果があるとされている、中鎖脂肪酸油。ココナッツオイルの含有量は60%だが、このMCTは100%。普段の食事にかけるだけ。こんなに良いものは無い!と、早速買って母の食事にかけたが…オイルという思い込みで受け付けない。油こくて嫌だという。私個人としては油こさは感じないんだけどね。でも、どこのシニアも思い込みが強くて、その思い込みは誰も変えられなくて、説得しても一時的なもの。時が過ぎれば、あら!元どおり諦めた。

でも、このMCTオイルはダイエットにも良いということなので、私がせっせと使っている。将来の認知症予防。そして現在、無理なく簡単ダイエット?一石二鳥だ。

こうして、母の認知症は確実な診断をされることもなく、予防も拒絶された。「親の心子知らず」というが、は我が家では既に「子の心親知らず」に変わっている。

またあの手この手で、母の脳を活性化させる手段を探し続けよう!

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母が認知症!? - 2 –

今年最初の更新です。今年もよろしくお願いします! さて前回は、母を認知症外来へ連れて行くべく、予約をした。というお話。

近所には認知症外来のある大きな病院がない。予約した病院までは、母が寝たきりになってから初めての2時間弱の長距離移動になる。ちょっぴり不安だ。

母を車椅子で車の横に連れて行く。腕の力で自分を何とかシートに移動させようと頑張る母。88歳の割に腕の力はあると思う。そして私は力任せに母のお尻を持ち上げる。無事にシートに収まったら直ぐに車椅子を畳み、旦那に預けトランクルームへ乗せて貰う。朝から母の身支度や朝食の準備で既に私はヘトヘト。

朝早い移動だったので、車内で準備しておいた軽い朝食を取る。母は水分を取ろうとしない。車椅子とはいえ自分でトイレへ行けるようになった母にとって、紙パンツは最終手段。出来れば自分でトイレへ行きたい→トイレへ行くには娘の手を借りなければいけない→娘に負担をかけたくない→だからトイレへ行かないようにする→だから水分を取らない、という図式になるらしい。注意しても受け流すだけだ。

病院へ着けば助手席から飛び降り、旦那が降ろしてくれた車椅子を広げ、車椅子を横付けし、母の足を誘導しながら車椅子に座らせる。
初診の手続きを済ませると後は待つばかり。予約をしていても、その時間に始まらないのが大病院。覚悟していても待つのは辛い。

やっと診察が始まった。まずは問診。
「最近、周りの人に何か言われます?」と担当医師。「幸せそうだね 」と母。「いえいえ母、認知症外来でその答えはないでしょう」と私の心の声。フォローするように、この夏の攻撃的な症状を伝えた。母に確認する医師。
そして次の質問に変わった。「これから3つの言葉を言います。後で聞きますから、ちゃんと覚えておいて下さいね」と。「紫陽花」、「キリン」、「飛行機」。
母の後ろで、母以上に真剣に、言葉を繰り返していた旦那(苦笑)
その後、他の質問を繰り返す。「今日は何日ですか?」迷うことなく答える母。
「ここは何階ですか?」ドキッ!私は覚えてなかったが、母はまたまたサラッと答えた。
「100から9を引いて…」「91 」「はい、ようそこから8を引いて…」「73 」先生は否定せずに「そこから8を引いて…」「…75」やはり否定せず、終了。
そして「先ほどの3つ言葉、覚えてますか?」「紫陽花」「飛行機」「…」やっぱり思い出せないのかな?と思う間も無く「キリン」と母。我が親ながら「おお!凄い。ご立派」
後ろの旦那は母に先を越されたようだ(苦笑) こちらの方が危ないかも?

その後、心電図・レントゲン・MRIと検査が続いた。その度に車椅子から降りる・横になる・起きる・車椅子に乗る、を繰り返す母に、疲労の色が出てきた。「もう少しだから頑張って」文句ひとつ言わない母の姿に胸が痛い。
文句を言ってくれれば、「誰のために来てるの?」とこちらが愚痴を言えるのに。

時に病院へ到着し、検査と待ち時間で既に15:30。
「まだ全ての検査を終わってないので何とも言えませんが、やはり軽い認知症でしょう」と、担当医師から告げられた。
そして心理テストと SPECT検査という血流を調べる検査を予約した。全ての検査結果は後日という事で、やっと終了。
やはり1日仕事だ。

母が認知症!?シリーズは、まだ続く…。

 

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母が認知症!?

2016年。母が寝たきりになってまる2年が経った。母も今年で満88歳。

介護生活も3年目になると、色々なことが落ち着き、余裕も出てきた。それでも一難去って、また一難。小さな問題は大きな問題へとすぐ繋がりそうになり、慌てふためく。ギリギリセーフに胸をなでおろすこともしばしば。さて今回は?

母の物忘れは年々、多くなっていたが、年相応と思っていた。それが、今年の夏に一気に進んだと感じた。この夏も暑い日が続き、母はイライラしていた。冷房を入れれば足が痛くなるし、入れなければ暑くて仕方ない。

ある朝、いつもように「おはよう」と声をかけると返事がない。聞こえなかったのかと思い、もう一度声をかけたが、やはり返事がない。「あれ?具合が悪いの?」と聞いても返事なし。

顔を見ると、どうやら具合ではなく、機嫌が悪いらしい。触らぬ神に祟りなし…

「じゃ、出かける前に顔出すね」と言い残して部屋を出ようとすると「どこでも好きなとこへ行って涼んでおいでッ!!」と吐き捨てるように母は言った。びっくりしたのと、朝から何なの!?という怒りで、私もつい「仕事だよッ!」と怒鳴りかえした。ドタバタと階段を登りながら、母の言葉を思い出して気が付いた。母はそんな言い方もしたことないし、そんな嫌な人間じゃない。

何で?何で…

そこで認知症の症状の中に「攻撃的な言動がある」というのを思い出した。もしかして…認知症?

数日後…昼食のあと仕事へ行く前に、おやつとして母の好きなクリームパンを「ここに置いておくね」と声をかけた。仕事から戻ると、クリームパンがなくなっていた。おやつを食べたなら、夕飯を急ぐ必要はない。「クリームパン、食べたんだね」と声をかけると「1つしかなかったわよ!」と、またまた私の知らない攻撃的な母。でも今度は「ねぇ、ママ。責めたわけじゃないの。クリームパンを食べたんだねって確認しただけだよ。何でそんな言い方するの?」とたずねた。すると母の表情も変わった。そんな母の態度のことを少し話すと、母もデイサービスでも「何でそんなにムキになってるの?」と言われていたらしい。母はいつも陽気でお茶目な人だ。きっと周囲の人も驚いたのだろう。

認知症は早いうちから薬を飲めば、進行を遅らせることができる。出来ることなら、最後まで母には、私が娘であることを分かっていて欲しい。母と話し合い、認知症外来を訪ねることにした。そう思い動き始めたのが9月。色々と調べ予約が取れたのは11月の半ばだった。大きな病院は行くのも予約を取るのも大変だ。

何事もなく受診出来るのだろうか?はてさて診断結果は?

次回に続く…

 
今年一年、ありがとうございました!
皆様、良いお年をお迎え下さい。

20161227a

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介護リフォーム

暑い夏から秋をスキップした寒い冬の訪れ。
服も体も心も、冬支度を準備する間もなかった。

秋がなかった今年だが、「秋になったらやろう」と思っていたものがあった。
車椅子で家の中を動くようになった母のためのリフォームだ。

2000年に建てた今の家は、バリアフリーの二世帯住宅だ。1995年に「長寿社会対応住宅設計指針」が建設省(現 国土交通省)より示され、また2000年に「住宅性能表示基準」が定められた。ちょうど建てた頃は一般住宅にバリアフリーが徐々に浸透してきた時期だった。確か、バリアフリーにすると助成金が少し出たような記憶もある。
車椅子が通れる廊下の幅や、段差がない浴室とトイレ。老いていく母のために、最初から浴室とトイレには手摺もつけた。ガスコンロは危ないので母親のキッチンにはIHも入れた。ベッドを置く場所から、外が見えるように窓も多くした。
寝室の床材は、今でこそタイルカーペットが流行っているが、当時は一般住宅ではあまり使われていなかった。それでも私は、母が汚した時に部分的に取り替えられるよう、タイルカーペットにした。
全てにおいてお金は余分にかかったが、他の所を切り詰めてでも母の住む一階には拘った。寝たきりになるとは思っていなかったが、思いついたことは全てやった。
それでも、実際に寝たきりになると、問題は出てきた。確かに車椅子は通れるのだが、曲がるのはやっと。車椅子を何度も壁にぶつけるので角の壁はボロボロに。また廊下から脱衣場やトイレへ行くドアは外してしまった。開いたドアの厚みやドアノブの出っ張りで、室内スペースや通路がかなり狭くなるからだ。

そして今回、手がけたのは…

母が居間として使っていた部屋の真ん中に、現在介護ベッドを置いている。居間は畳が良いと言う母のリクエストに応え和室だったが、数年経つと「畳が傷むから」と母は勝手に畳の上にカーペットを敷いた。その方が傷む気がしたが思うようにさせていた。家を建て10年近くなると畳が凹んできた。「畳替えをしよう」と言っても「私が死んだら全部、取り替えなさいな」と、母は面倒臭がりやらせなかった。そして突然の寝たきり。へこみ続ける畳の上でカーペットがヨレる。そこを車椅子で動こうとしても、スムースな動きが出来るわけない。母が元気になればなるほど、気になっていた。
もう1つ。母はキッチンで自分の食べた物くらい自分で洗い物をしたいらしく、ギリギリまで車椅子を寄せて指先で水栓のレバーを動かしていた。シンク下の扉を取り外して、土台の一部分を壊すか外すかすれば、車椅子のまま奥まで入れると思ったのだ。

介護のためのリフォーム。介護保険が使えると思ったが、今回のようなキッチンリフォームには使えないらしい。では床は?キッチンがダメなんだから床もダメだろうと調べもしなかった。
とある週末、母は初めて二泊三日のショートステイに。DIY好きの私達夫婦2人で畳を剥がし、スタイロフォームという断熱材を敷き、合板を乗せタイルカーペットを敷いて、完成!
数日後、介護の対談で各役所には介護保険で使えるサービスが小冊子になっていることを知った。手にしてみると…実は床の張替えは介護保険が使えたようだ。
まだまだ、情報とケアマネさんとのコミュニケーションが足りないと、痛感させられた。

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介護食に注目!?

突然の介護生活も丸2年、慣れたつもりだ。
たくさんの人に支えられ、様々な知識や情報を手に入れ、少しでも介護される人もする人も「負担」が減るように、日々、生活して来た。母の目覚ましい回復で、私たち兄妹は楽になった部分が多い。とは言え、日々、年々、母が歳を重ねてるのも確かだ。

たとえば、去年、食べられた物が食べられない。
先月は食物アレルギーの話をしたが、食べられなくなった理由は他にもある。硬くて噛めないのだ。時間や圧力をかけて柔らかくすれば、食べられるものもある。でも柔らかくしたら、その物ではなくなってしまうものもある。歯ごたえや食感も、食事の楽しみの中の1つだ。沢庵やキノコ類、キュウリも、柔らかいと食感が変わってそれらしさがなくなってしまう。イカやタコ、貝類もほとんどダメだ。柔らかく煮てあるタコも去年は食べられたのに、今年になって食べられなくなった。

寝たきりになり、楽しみが減った。その数少ない楽しみからも、また少しずつ楽しみが減っていくのだ。
入れ歯を入れれば問題ない!というものでもないらしい。
先日、母の好きなきんぴらごぼうを作った。ゴボウが柔らかくなるまでに40分かかった。私にしてみれば歯ごたえもなく、柔らかいゴボウだったが、母は固くて食べられなかった。
ハッキリ言って手間がかかる。ほうれん草の胡麻和えだって、茹でる時間も長くし、更に細かく刻む。去年までは柔らかく茹でれば、それで十分だったのに。
とは言え、全てをフードプロセッサーにかけてペーストにするほどではない。どんなに味が良くたって、出来ればペースト状は避けたい。我が家に圧力鍋はあるけど、母1人分を作るには大き過ぎる。考えようによっては赤ちゃんの離乳食と同じかもしれない。でも赤ちゃんと違って、食の好みがハッキリとあるし、今まで原形を食べていたから、その食感の違いに違和感があるだろう。

そんな新しい悩みの答えにはならないが、街のフランス料理店で介護食のフルコースを出しているという取材を見た。コロッケは普通に衣をつけて揚げたそのままを、フードプロセッサーに入れてペースト状にし、形を整えソースをかけていた。
料理は見た目も大切と言われている。宅配やレストランでは可能だけど、一般家庭で慣れ親しんだ味での介護食は、やはり手間暇をかけるしか、今のところないのだろう。小さな圧力鍋でも買おうかな?

2か月続けて食の話になったのは味覚の秋だからだろうか。今夜も秋を頂こう!

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食物アレルギー

先日、子供の食物アレルギーの特集をテレビで見た。
旅行会社がアレルギー対応の食事を3食用意するツアーを開催した様子を取材していた。
お昼のお弁当もアレルギー対応メニュー。旅館での夕食と朝食も、もちろんアレルギー対応のメニューだ。
卵・乳製品・小麦が代表的なアレルギーの原因食物だが、他にも甲殻類・果物・豆類などがある。

旅館の厨房には、これらの原因食物が混入しないよう、アレルギー対応用の厨房が別に作られていた。微量でもアレルギーに反応し、アナフィラキシーになったら大変だ。厳重な注意が必要だと言う。
食物アレルギーを持つ子供は、外食の場合に食べたいものが食べられない。目の前にあるのに、食べてはいけないのだ。子供にとっては酷な事だと思う。
また、みんなと違うメニューになってしまう事もしばしば。
しかし、このツアーは家族全員が同じメニューなので、みんなと同じ物が食べられる。普段、同じ物が食べられない子供にとってはとても幸せなことだ。
私が幼い頃は、食物アレルギーを持つ子供は一クラスに45人いても1人いるか、いないか?だった。今は赤ちゃんだと10人に1人だという。

でも最近、私はシニアの食物アレルギーをよく耳にする。
この食物アレルギーの特集をしていた番組でも、スタジオにいたコメンテーターの1人が「私の母が急に食物アレルギーになった」と。
そう、私の義母も2年前くらいから食物アレルギーになった。長年食べ続けていた「しいたけ」。
ある日、突然湿疹が出て病院で調べてもらったところ、原因は「しいたけ」だった。
やはり、外食に気を使うようになった。しいたけの出汁を使った料理でも反応するし、細かく刻まれたしいたけは料理に良く使われる。
お店の方に、このメニューには、しいたけは使われてますか?と聞くと、即答はまずない。厨房へ行き、聞いてくれる。義母と行くお店は、個人経営のお店が多いので、「しいたけ」を抜いてもらえますか?とお願いすれば、対応してくれるが、フランチャイズやチェーン店などでは対応は出来ないだろう。
私たちは確認する手間。お店は対応する手間。ひと手間多くかかるようになった。
食物アレルギーは子供の頃になるものだと思っていたので、びっくりだ。

花粉症と同じなのだろうか?分かりやすい例で、花粉が体内のバケツいっぱいになると溢れて花粉症になる、聞いた事がある。
しいたけエキスがバケツいっぱいになって、アレルギー反応が出るようになったのだろうか?
シニアになると子供に返るというが、こんな所まで!?

幸い、まだ義母は「しいたけ」だけ。実母は何もない。
食べるということは、人間にとって、また高齢者にとって楽しみの一つでもあり、大切なこと。
「食物アレルギー」他人事のように思っていたが、決してそうではない事に気づかされた、今日この頃だった。

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ケアマネージャーさんのこと

母が寝たきりになって、この9月で2年になる。

分からない事ばかりの中、手探りで始まった介護も、いまは何となく落ち着いている。
母も順調にリハビリを重ねて、運動機能は回復してきている。

先日、訪問リハビリに来て下さっている作業療法士さんから、こんな提案を頂いた。
もっと「歩く」ことを主としたリハビリが出来るデイサービスにしたらどうか?と。
この2年、母が目標として頑張ってきた「歩く」が見えてきた。
母もお正月までに歩く!とやる気満々だ。

そこでケアマネさんに相談した。
すると?意外な答えが返ってきた。「車に自分で乗れないとダメ」だと。
自分で車に乗れるなら「歩く」為のリハビリには行かないと思う。腑に落ちない答えだった。

相談してから1カ月。まだ次のデイサービスは見つからない。
そんな時、仕事で某県のケアマネさんのトップを務めていた方と出会った。
介護のお話をたくさんした。2年も介護をしてるのに、知らない事ばかりだった。

まず、寝たきりになったばかりの頃の話だ。
担当のケアマネさんから、車椅子に3時間以上座っていられないとデイサービスへは行けないと聞いた。
なので訪問リハビリを続け、リハビリの為に40日間入院した。母がデイサービスへ通えるようになったのは1年後だった。
それが通常のデイサービスの在り方だと思った。国や県などの機会で決まっている条件だと思っていた。
デイサービスは民間であっても、介護保険という国や県の機関が定めた保険を使っているのだから。

でも違うらしい。
ベッドからベッドへ行けるデイサービスもあるようだ。
現にその方が若い頃は、ベッドから抱き抱えたり、背負ったりしてデイサービスへ送り届けたと言う。
つまり事業者。デイサービス毎に受け入れる条件が違うのだ。
よく考えれば当然のことだが、介護が必要になったらデイサービスが受け入れてくれる。と思い込んでいた当時の私にとって、受け入れを拒否されたことは大変なショックだった。
知っていたら、ベッドからベッドへ行けるデイサービスを探して貰っただろう。

では母の担当をしてくれているケアマネさんは何故?教えてくれなかったのか?
自分の知っている、又は交流のあるデイサービスに、ベッドからベッドというデイサービスがなかったから。という理由が推測できる。
もしかすると今回のケースでは「歩く」為のデイサービスがケアマネさんの手札にないのかもしれない。
もちろん、何かほかにも理由があるのかもしれないが…
とても良い方だけど、母の「歩く」を優先させる場合はケアマネさんを交代することも必要に応じて考えようと思っている。

それにしてもケアマネさん、どれだけの人数を担当してしているのか?と素朴な質問をしてみた。
私の想像では15人くらい。これ位が限界だろうと。
すると35人!!
1人で35人もの介護状況や環境・家族を把握し、役所に出向き手続きをしているのだ。
頭がさがる。本当に大変な仕事だ。
これからもケアマネさんにお世話になる。心から感謝したい。

これまでのコラムにもつづってきたが、情報社会の現代では介護も情報収集が必要だとあらためて感じた。

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ローマ市街地の環境は?

7月下旬。少し早い夏休みでローマへ行った。

イタリア語は勿論、英語もろくに話せない私が、今1番興味がある「介護事情」をローマの人達からコミュニケーションで聞き出せる訳もない。
なのでツーリストでも分かる街の環境を観察してきた。
古代ローマの街並みは一見すると、とても雰囲気があり素敵だ。街中の道路はほとんどが石畳。写真で見る分には心躍るが、実際に歩いてみると、何百年という年月の間に石畳は歪み磨耗し、欠けて壊れている。古代ローマの史跡に手を加えることになるからメンテナンスができないのか?と聞きたいほど、何処もかしこも、でこぼこだ。
目の前の若い女の子が躓いた。足元を見ると石畳がひとつ、とても飛び出ていた。若い子だから転ばなかったが、私なら?転んでいたかも。ご年配の方なら?最悪は…転んで骨折して入院だ。
石畳には、杖がはまり込んでしまうような大きな隙間もたくさんある。年配者に限らず、とても歩きやすい環境とは言えない。

それ以外に、ターミナルやバス、電車はどうなっているだろうか?
まずバス。乗ってはいないが、見ていると東京のように昇降時に車体が低くなることはない。日本でもそこまで親切なのは大都市部が中心で、地方にまではまだまだ及んでいない。

ローマで滞在したホテルはテルミニ駅の近く。テルミニ駅は日本でいう東京駅だ。地下は一階までだが、とにかく大きい。最低限のエスカレーターはあった。ただ何度となく利用したが、滞在中に杖をついた年配者や車椅子の方を見かけることはなかった。

ローマの観光地はほとんどが古代ローマの遺跡。
コロッセオ(ローマ帝政期に造られた円形闘技場)もやはり足元が悪い。だが、後から付けました!と言わんばかりにエレベーターが隅の方へ設置されていた。個人的には、そのエレベーターまで辿り着くのが難しいと思うが…それでも無いよりはあった方が良い。

勿論、ホテルも古い時代の建物がほとんどだが、エレベーターはついている。ただホテルの玄関がバリアフリーになっている所は少なく、段差があった。

意外な事にローマは坂が多い。なので建物の入り口はたいてい段差がある。とてもじゃないが車椅子は無理だろう。店内も狭い。テルミニ駅を東京駅に例えるなら、地価を考えれば仕方が無いのだろうか。それに、わざわざ東京駅近辺まで買い物に来るご年配も少ないのだろう。郊外とは事情が違うのかもしれない。
それでも用心深く見ていると、杖をついて歩いているご老人を見かける。側には必ず娘さんらしき人が付いている。ゆっくり、ゆっくりと足を運ぶ母を支える様に歩いていた。在宅介護が主流なイタリアなら当然の風景かもしれない。

1週間という短く狭い範囲で、イタリアの介護事情を語ることは出来ないが、介護に関しては「住みやすい」とはなかなかいいがたく、近代化やバリアフリーと、古都の共存には課題が多そうだ。同時に日本の介護環境に思いを巡らせるきっかけになったと思う。

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垣間見た寝たきりの辛さ

先月、脳動脈瘤の手術をした。
2013年の脳ドックで見つかった後、経過観察を続けていた。ずっと大きくならなかった腫瘍が昨年の5月から今年の5月の間に倍近くの大きさになっていた。
原因は大きな生活環境の変化やストレス。思い当たること、ひとつ、ふたつ…とは言え、現代社会においてストレスのない生活などあり得ない。

私の手術は鼠径部(そけいぶ)からのカテーテル手術。術後、鼠径部(そけいぶ)を曲げてはいけないので寝返りがうてない。
トイレもダメ、食事もダメ。ひたすらベッドの上で安静にしていなければならない。
麻酔がきれて頭がハッキリすればするほど、動かせない辛さを感じ始めた。既に寝たきり10時間…手術時間を含めてだが、寝たきりには変わりない。
枕がないのが特にツライ。枕…枕…とお願いしてやっとお許しが出た。
その枕がとても気持ち良い!!あまりの気持ち良さに旦那に頼んでメーカーを書き留めて貰った。退院したら必ず買おう!と心に決めた。
頭と首が楽になると、辛い体勢が気になる。お願いして姿勢を変えて貰う。
と言っても、真っ直ぐに伸ばしたままの身体の右下に枕を入れただけ。動かないよりはマシな程度。それでも辛さは半分になった。

たった一晩、動けなかっただけで、この辛さ。
寝たきりになった母の辛さは想像つかない。今では何の苦労なく寝返りをうてる母だが、寝たきりになった直後は自力で体勢など変えられなかった。
ここまで良く頑張ったと思う。たくさんの方の手を借り、そして何より本人が頑張った。
今も頑張り続けている母だけど、いつの日かまた、動けなくなる日が来るだろう。その時は少しでも苦痛が和らぐよう、今回出合った枕を買ってあげよう。
寝返りを支えてくれる枕を…。

やはり人は自分が体験しないと理解できない。
本当の意味で母の辛さは理解出来てはいないけど、心あらたに、母に優しく出来る自分でありたい。

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人生後半を楽しむ住まいとは

今年は紫陽花の色付きが早い気がした。これから雨露に濡れ、本当に美しくなる。

さて先月「終の住処」をテーマにした。
そんな時、ふと手にした雑誌に「人生後半を楽しむ住まい」と題して、住居を紹介した記事が載っていた。
その中から3つ、気になった住居を紹介しようと思う。

一つ目は、全米で最も住みやすい都市と言われているポートランド。そこにある高齢者住宅「チェリーウッドビレッジ」は、自立型・支援型・認知症ケア型と異なる3タイプの住居の複合型シニア住宅だ。
東京ドーム1個分くらいの敷地に複数の棟があり、平均年齢83歳、500人が暮らしている。近くには病院とショッピングセンターもあり、生活はとても便利らしい。
介助を必要としない自立型の場合だと、ワンルームからペントハウス、庭付きの一軒家タイプまで用意されている。ジムやカフェテリアは地域住民にも開放している。
とある夫婦の場合、奥さんは認知症ケア住居で暮らし、旦那さんは自立型住居で暮らし、旦那さんは毎日奥さんの所へ会いに行くという。
「スープの冷めない距離」とは独立した子供と親の関係を表す時に理想とする距離のことらしいが、
お互いに大変な老老介護にも言える距離かもしれない。

次の「コロンビアエコビレッジ」は共同住宅。
各自の居室の他に共同の食堂や農場を持ち、1つのコミュニティとして生活を送っている。若い女性から80代の単身女性まで。月に9時間のボランティアを行う事をルールとし、1人ではない安心感や個人では持てない広い農場を楽しんだりと、それぞれがここの暮らしを楽しんでいる。

そして最後は、都心の交通にも便利で階下にはスーパーが入っている大規模賃貸マンション。20代から90代までが暮らしている。普通の賃貸マンションと異なるのは入居者同士の交流する場所が充実しており、ラウンジを始め15カ所の共有スペースがあるらしい。都市型ライフとしての選択だ。

日本での話だが、23年前、私は友人と共にマンションを借りようとした。その頃では珍しく、そして難しい事だった。不動産屋でも大家さんでも、ことごとく断られた。
今では若者の流行となり「シェアハウス」と言われ、シェアハウス専用の建物が建ち、友人でなくても簡単に他人と暮らせる時代になった。

終の住処も、ここ数十年で大きく変化したのだろう。特別養護老人ホームという名前が最初に使われたのは昭和38年のこと。時代は流れ、人々のニーズに応え変化した。
そして20年後? そう遠くはない将来、私達の終の住処は、どの様な選択が出来るのだろう。

どれだけ選択肢が増えようとも、最後までどう生きていきたいか?を自分で決めておかなければ、施設やサービスを上手く活かせない。
今から機会を見つけて様々な施設を勉強しておく事が、親の為に、ひいては自分の為になるのかもしれない。

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